「核分裂過程」 再 処理工場を止めた人々  公式HP
 「核分裂過程」を観て アンケートより 

●核燃料再処理施設反対に立ち上がったヴァッカースドルフの人々に心から 拍手を贈ります。緊張感溢れる構成力で,見る者をぐいぐいと画面に引き込 んでいくすばらしい映画でした。本当の民主主義とは何か、報道機関はどう あるべきなのかをも問うている姿勢に共感しました。



●自分のために闘 うことは人のためにも闘うことだということが、よくわかりました。だから 地域でみんなが一つになれるのだと思いました。
なんと勇気の起こる映画であろうか!
現在は少数派であっても頑張りたい。愛しい孫たちのために。

●この映画を、再処理工場建設中止後に見ることがで きたことは望外の喜びです。住民の言葉一つ一つが、心に響きました。六ヶ 所村でも同じ現実があることに、何としても止めなくては、との思いを新た にしました。ガス弾(外国で使えば犯罪行為)の使用の場面、抵抗の場面に は息をのむばかりで、ものすごい衝撃を受けました。私も頑張らなくてはと 思います。言葉でうまく言い表せません。彼らに会いたい。


●しっかりと現実を撮った制作者に拍手!
この映画を青森の人に、六ヶ所村の人に、いや日本全国の人々に見てもらい たいと思った。これは原発だけの問題ではなく、その国の政治に関わる事 で、私たちはもっと真剣に考えるべき事であると、この映画を見て思った。
 ヴァッカースドルフの人々をそのまま日本人に置き換えて考えてみた。今 の日本人にあれだけのパワーがあるだろうか?
●自分が対立するどちらの立場にもなりうることがと ても悲しい。核に限らず、人間一人一人がどう生きればいいのでしょう。
 みんな自覚が必要です。そのキッカケとなるこういう活動、期待していま す。今日は貴重な体験をさせていただきました。
ありがとう。 合掌。
●“勇気をもつこと”“信じること”が人々の連帯に つながってゆくんだなあ、ということをしみじみ感じました。ヴァッカース ドルフの人々の真剣な生き方の底に流れるエネルギーを、うらやましく思う と同時に、自分の漠然と毎日を過ごしている生き方の姿勢を恥じました。私 にできることを探しながら、今後も運動に参加しつづけたいと思います。
●来年には私もドイツ滞在になるので大変興味深かっ た。ヴァッカースドルフのようなド田舎でこれだけの人々が行動できたとい うのはとてもスゴイと思う。尊敬しちゃいます。自分のできることをちゃん とやってる人々の姿を見るのはとてもいいものです。勇気が出ちゃう。
 声に出していやだと言わなければ賛成していることになる。だから嫌なも のは Nein! と正直に訴えるだけだもの、私達だって出来ると思う。 無関心でいないで積極的に主張していこう!
 
●木が一瞬にして倒されるシーンに背筋が凍った。再 処理工場のみならず「開発」の非人間性を感じた。
 映画評では「勇気が出る」といったものが多かったが、私自身は、全く違 う国なのに資本と権力の横暴があまりにも日本と共通していることに絶望感 をもった。それだけに「建設中止」の報は嬉しい。日本はこの点で決定的に 遅れている。

●あの美しい森には再処理工場は似合わない。むき出 しの地面がむごたらしかった。
安全PRの仕方は日本とまるで同じでなんだかおかしかった。
国や企業はなぜ人々を汚染して平気でいられるのか。
ヴァッカースドルフは沼地が多いようだが地下汚染は大丈夫なのか。
市民たちが抵抗している姿は自然ですばらしかった。(でも警察はこわい)
私は原発について以前から知っていたが、今はかえってそれが恥ずかしい。


●二本のフィルム*を見ながら、ひたすら涙 が流れた。止まらなかった。まわりの女たちも泣きながら見ているのが、気 配でわかる。
 人々がどんなにNO!と言っても、国家は政治力とお金と暴力で無理矢理 に物事を進める。どこの国でも何をする時でも、やり方は一緒。
 森の樹木を数秒で切り刻むのと同じように、抗議する人々を簡単に打ちの めす。他国に対して使えば、戦犯となるような毒ガスを人々に対して平然と 使う。
 人々は何度も何度も、打ちのめされる。押し潰される。くやしい映像が続 く。
 でも、私が泣いているのは、そのことではない。ひねり潰されても、あき らめない。くり返し、巨大な柵に向かう。その人々に泣いている。
 敗けつづけることは敗けではない。だって敗けるたびに人々は、私たち は、変わっていくのだから。自分の生き方、社会の生き方が、どんどんクリ アになっていく。仲間と出会い、抗議行動に自らの表現が重なる。
 人が人として、女が女として、私が私として、生きる、その拠り所が、こ のフィルムにはある。 気持ちのありったけで見てしまう。
(*「核分裂過程」と続編「故郷のために ギートルさんたたかう」)




●悲しいことに、この映画を見て、政府と一般大衆に対して疑問と不信を感 じてしまう。政府に対しての不信は映画の中から読みとれるのだが、一般大 衆に対して というのは、あまりにも政府側と反原発(反再処理工場)側の 見解が違いすぎているので、思わず反原発側の見解も本当に本当なのだろう か?と思ってしまうのだ。
 もし本当に反原発側の言っている数値が正しいのであれば、政府側の見解 というのはあまりにとんでもない、でたらめになってしまう。それが国の考 えなのだろうか?政府の人々は本当に自らの見解を信じているのだろうか? それとも本音と建て前なのだろうか?
 一般大衆の人々も反原発側のいかにも恐ろしい見解をうのみにしているの ではないか?
 この両者のギャップに思わず何が本当なのか、何を信じていいのか、わか らなくなってしまった。私もまた カオーテン(混乱する人)になった気が した。


●最近時々思うことは、自分だけが何かしようとしても自分一人で何ができ るんだろう、ということ。環境破壊にしても汚染にしても自分のできる事か らしようと友人と一緒に毎日つとめています。でもむなしくなることもたび たびです。自分一人が頑張ったってどうなるんだろうとすぐに考えます。で もやっぱり、そうじゃないそうじゃないんだと、いつも自分に言い聞かせて います。
 この夏1歳になる長男がいます。この子らにいったい私たちは何をのこし てやれるんだろう。この子らに美しい地球、すばらしい自然、そして平和を 本当にのこしてやれるんだろうか、不安だらけの毎日です。
 便利な生活はいりません。それより平和な美しい地球を次の世代にのこし てやりたいだけなのです。
 私たち一人一人の思いを切りかえて行かなければいけないと思います。自 然環境の保護や核廃絶を訴えている自分たちが、川を汚すような行いをした り環境汚染を引き起こすようなものを使用したりしていては何にもなりませ ん。毎日の生活を切りかえて行かなければ、平和や美しい地球を次の世代に のこす事などできないのではないかと思います。

●樹を切り倒す場面に驚きました。人が共に生き合っているすべてのいのち に対するおそれ、祈りを失ってしまった時の景は悪夢のようです。
 樹で小屋を作り、人々が共に生きる人々のために集う姿には救われます。 人の暮らしというのはこういうものだと、これだけなのだと、素朴な思いが 湧いてきます。
 盾を持ちヘルメットをかぶった人々には、樹々を一度に取りはらってしま う人々には、人としての言葉が通じない。悲しい気持ちです。まさに戦争を 見た思いですが、抵抗する人々の姿は、戦うというよりは、人の暮らし、た だ静かに生きていく、というものを感じさせられました。それをちゃんと伝 えてくれる映像でした。